Monday, September 30, 2013

イビサ ヴォイスより、Len Faki のインフォメーション



NY アウトプットでのデビューで素晴らしい5時間にわたる演奏をしたLen Faki です。いつも楽しそうに観客とコネクトしながら演奏する彼ですが、今回のショーでも同じく、最高に盛り上げました。今回はドイツに住むLen Fakiの記事をイビサ ヴォイス紹介します。

Source: イビサ ヴォイス


 Len Faki がベルリンに引っ越したのは2003年です。しかしながら、彼はその前から、すでに素晴らしい作品を生み出していて、テクノレーベルのMonoid とFeisをマネージしてました。
彼のベルリンへの移動はキャリアの決定的なターンニングポイントになりました。 まずLen シリーズとして、彼のアイディアであるテクノのインディペンデントプラットホームの基礎を作りました

サブレーベルのベーシックなコンセプトは彼にもっと自由にミュージックの深さを模索することが可能になり、アーティスティックな自由さを与えました。

彼の素晴らしいOstGut (Berlin)での活躍で、彼はBerghain (the former OstGut)のレジデンシ―に登りつめます。オープンマインドなアプローチでDJ、プロデューサーとしてさらに力を伸ばします。独特で特別長めに用意されたセットはFAKIの音色をいろいろ広げてみたり、スタイルなどに特別なインスピレーションを与えたようです。

Berghainではまた、Podium ナイトをプロデュースし、年4回、彼の同僚を世界中から招いて開催してます。
このステップは彼のサブレーベルPodiumの誕生につながります。Podiumからは、Raudive (aka Oliver Ho) Shinedoe 、Tony Rohr と 2000 And Oneがリリースをしてます。

彼の初めてのサブレーベルはDJやプロデューサー、例えばLuke Slater, Sven Väth 、Ivan Smaggheなどが名前を連ねるチャートに騒ぎを起こしました。

Podiumの彼のリリースはアーティストのとのリミックスや自由な取り合わせ、FAKI自身の楽曲と彼とのコラボが呼び物になってます。

こちらはオープンプラットフォームでいろんな種類のエレクトロニックミュージックを扱ってます。もちろんこれらはテクノダンスフロア―にと作られてますが、豊かな多様性が見られます。

Lenは短い制作休息の後、一貫したオリエンテーションで、又彼のレーベルFigureを多様性のレパートリーとして再ラウンチします。こちらはリミックスでRadio slave とLuke Slaterなどのアーティストが参加。

Len はさらにBerghain のレーベル OstGut TonからRainbow Delta/Mekong Delta、 O-Ton 04をリリースし、多くの有名なDJから絶大なサポートをもらいました。


Genre: Minimal/Tech House
1 / 2. Rainbow Delta (original mix) by FAKI, Len
5:30 / 9:30

このEPはLENのマンスリーのBerghainでのセット、日曜日の朝7時のセットの賜です。これらのトラックはJerome Sydenham と Adam Beyerのリミックスも入ってます。

1 / 3. BTX1 by FAKI, Len
2:39 / 7:02



彼の観客と語り合うような彼のDJスタイルは、本当のジェントルマンのようです。彼のセットはいつもパッションと美しさにあふれてます。彼の指先は、まるでセンサーのように素晴らしい測りになり、観客を楽しませ、ダンスフロア―を爆発させます。
この素晴らしいDJはベルリン、ブラジル、スペイン、日本やベルギーなどで楽しめます。

Saturday, September 28, 2013

Petar Dundovは本当にアナログギアに夢中だ Noisey Vice. Com より

Source: Gear Petar Dundov is Totally Obsessed with Analogue Gear Noisey Vice. Com

By Nadja Sayej 


Petar Dundovは少しスタジオ虫(ラット)ぎみだ。

彼はZagrebをベースとして活躍するエレクトリックミュージシャンです。Music Man recordsからSailing off the Gridというアルバムを最近リリースしました。彼はスタジオギアーとして、アナログコレクションを持っています。美術館のディレクターのように、今回私たちにいろいろ見せてくれました。アナログのギアーをみんながどんどん取り合えていく間に、Petar はそれらを買いに行ってました。彼はスピーカーから、シンセサイダーまで、ガレージセールで見つけ、引きずって帰り、スタジオに素晴らしい状態でキープしてます。

どのようにして、昔音楽つくりが行われていたか、インストロメントの歴史と発展が彼のスタジオ見ると分かります。初めに伝えておきますが、その頃のインストロメントにはあまり色はつけられてません。

遠く離れたクロアチアから、Zagrebにある彼のDundovの親しみやすいスタジオを紹介しながら、アシッド時代などを、ナードなエレクトロテックトークで語ります。

なぜか、彼は1千本くらいあるケーブルを無くさず、からませずにうまくアレンジしてます。


Petar Dundov: これはZagrebにある僕のコントロールルーム、Neumatik Studio です。僕はいろんなギアーを20年くらいかけて集めている。すごくラッキーだったと思っているよ。
なぜなら皆その頃アナログギアーを処分しようとしていたからね。スタジオは自分のスタイルでつくったんだ。

2人の友人と6カ月かけて完成させて、2カ月かけてケーブルとチューニングを仕上げた。すごく大変だったけど、良かったのはどこにどのケーブルがあるかすぐに解ることだね。

スタジオを持つということのキーポイントは、やはり今作っている曲が最中によく聞こえるってことだね。
サウンドのフィールドはキャンバスの様で、例えば、どこにシェープを描くとか、ミュージックの経験に魂を吹き込むのに似てる。

だから僕はsoffit を張り廻らした、3ウェイスピーカーを使っている。Genelecは高音に優しさが有り、低音には奥行きがあるので僕のキャリアの中で Genelecをずっと使っていることが多かったね。



NS10sを 僕はミッドーハイ の全体のバランスを確認するために使用してる。

Avantones はどんな風にすべてのサウンドが小さなシステムに、ロウーミドルに問題があった時なんかに、よく露出されるのが見れるのがいいね。




僕はトランスペアレントコンソールを探していて、だからSSL AWS900+SEを選んだ。SSL AWS900+SEはすべて僕が必要としていたすべてのシグナルルーティングを持っている。

EQsはとても精密で、ダイナミック、本当に素晴らしい、多目的に使用できる。しかも、DAWコントールの総合でで部屋のスペースをセーブ出来るしね。

この新しいVCA自動操作オプションは素晴らしいし、すべてロジックの中で済ますことが出来る。これは僕のプロジェクトを見事に完成する事ができる。


トラックを先導するサウンドはほとんどRoland System 100から来ている。これを使うことによって可能性は大きく広がり、作れないサウンドはないほどだ。

これの長所は微調整で、とてもナチュラルなシンセのサウンドが作れることだ。フィルターはとてもスムーズで、オーガニックな感情をサウンドに与えることができる。

Jupiter 4 とProphet 600は僕の大好きな多製のシンセだね。2つとも、特有のキャラクターがあるね。Jupiterはとても簡単に使える、とても速いenvelopes、とてもよいオルガンとベースのサウンドがあるね。

Prophetはとても広い範囲のサウンドだけども、Jupiter程ではないね。2つとも揃うと本当に素晴らしい状態になり、多声のシンセのサウンドが必要になる時にうなくフィットする。

これらが僕の好きなデジタルシンセだ。もっと多くのシンセを持っていたけど、JD990 とTG77をキープしたよ。デジタルシンセ時代でRoland とYamahaでトップだ。

とても美しいレイヤーのパットはこれらのモジュールからくる。サブトラクティブ 、FMの世界でナンバー1だ。

僕はクラシックRoland TRのビックファンだ。808 と909は直間的なマシーンで、僕らはこれらをよくビートをプログラムする時に使うね。マシーンを使って直接制作にあたると、うまく結果が出る。一度プログラムをの仕方を覚えると、すごく良いグルーブが、早く仕上がるしね。

下にあるのはOberheim DX、これはキックのレイヤーにいい。スネアー と Ruff サウンドは hi-hatsだ。CSQ600 セキュエンサーは変わったドラム誘因にいいね。


これらの303 と606を手に入れたとき、アシッドの時代に沢山演奏したのを覚えているね。303 はモードだから、 CV, Gate, Filter, Accent, スライドコントロールに繋げられるし、これらは一緒にアナログセキュエンサーとモジュールシステム稼働できる。

僕は606のハイハットと スネアーが大好きだね。うるさくて、ラフで、いかなる場面でもうまくフィットするね。


ここで、僕が使っている違うダイナミックプロセッサーを紹介する。Chandlerは通常リードだ。とても早く、精密で、明白だ。


何かトラックにカラーが必要な時に、僕はチューブのコンプレションにいくね。TL Audio C1はベースとキックの音にいいね。時々、僕はFat Manで少しホットで、スウィートな、ゆがめられたストリングな音を作るね。

RCL10はlo-fiエフェクトを探している時に使う。DrawmerとRebis Comp/Limitersはメインのパッチをシンセに少し押し付ける時に使う。




初めて、RE301を手に入れたときは見ただけっで惚れたね。これは本当に素晴らしいマシーンだ。これはエコーだけではないね。モノだとしても音はステレオのようだ。本当に嵌って、201と 501も買うはめになった。どちらも違う音をだし、これらは僕のプロダクションの中でも重要な位置を占めるね。




僕はプラブが好きだ。モジュールシンセの可能性を見つけてから、僕はスタジオのパッチをすべてしたくなったね。すべての僕のギアーは幾つかの800 pointsを通り、どんなシグナルパスのコンビネーションが可能になったね。
コーヒーも大好きで、いつもどこか手の届くところにある。何か馬鹿のことをしたくなった時にこのがレジセールで見つけたゲームで遊ぶ。


Format: 4xLP + CD
Cat: MMLP 039
Released: 16 Sep 13
Genre: Techno
1 / 16. Enter The Vortex by DUNDOV, Petar
0:00 / 2:00

By Nadja Sayej 2 hours ago Tags: Analogue Gear, Petar Dundov, SSL AWS900+SE, Roland System 100, Phrophet 600, Jupiter 4, RE301

Wednesday, September 25, 2013

PODCAST 紹介 D-Node 217 Nikola Gala | Escada Music + Plastic City



ギリシャのDJ/プロデューサーであるDJ Nikola Galaはもう10年以上にわたり、Ibadan, Rekids, Freerangeや彼自身のレーベルから、Escada Music超精力的にクオリティの高い音楽を作り出しています。Galaはプログレッシブハウスから、デープハウス、そうして、最後にベルリンに移り、高揚するテクノに進化しました。今週のD-Node 217は彼のスピードのある弧を描くようなメロディ、雰囲気、まばらな功利()を見せ巧妙なミックスを仕上げてます。

 Image courtesy of D-node


トラックリスト
Peter Van Hoesen – Attack On The Reality Principle – Sigha remix – Time To Express
Traumer - Oscla – Skryptˆm Records
Lewis Fautzi and Nuklear Default – Anti-Cake – Soma
Omar S – I Just Want (Mixed By Luke Hess) – FXHE Records
David Alvarado – Nita - Ovum
Unklone – Grit 555 (Clouds Remix)- 5Wall
Sigha – Scene Couple – Bass Music
Zadig – TTRXL – Deeply Rooted House
Nikola Gala – Love Spot – Enemy Records
Function – Incubation (Ritual) – Ostgut Ton
Barker & Baumecker Silo (Kobosil Remix) - Ostgut Ton
Dax J – La Haine (Jonas Kopp Remix) – Weekend Circuit
Jerome Sydenham – Whitewater (Original) – Apotek
Giorgio Gigli – Further Reflection – Electric Deluxe
Orphx – Vanishing Point – Sonic Groove
Shifted – Aun Weor – Our Circula Sound
Oscar Mulero – Rotula – (Truncate_Remix) – Modularz
Clouds - Chained To A Dead Camel (Edit Select Rave Tool) – Overlee Assembly
Joy O – Jels – Hotflush Recordings
Nikola Gala – untitled – unreleased
Oscar Mulero – Transversal – Modularz
S100 – Intern – Stockholm LTD
Little Nobody – Behind the Meme Claw (DJ T-1000′s Drums and Weapons Remake) – IF? Records
Len Faki – BTX2 – Ostgut Ton
Johannes Heil – lifesigns pt. 4 – Figure
Nina Kraviz – Ghetto Kraviz (Steve Rachmad Scorp Interpretation) – Rekids
Function – Reykjavik – Sandwell District
Echonomist – Blowback – Nikola Gala Remix – Rotary Cocktail
P‰r Grindvik – Dim the Light – Sinister
Zadig – The Mysterious Case Of Harry Lime – Deeply Rooted House
Quell – Real People (Jerome Sydenham Remix) – CLAAP
Asiel – Radial – MORD
Rrose – Prism Guard – EAUX
Nikola Gala – untitled – unreleased
Skudge – Convolution – Aardvarck Remix Skudge record

Tuesday, September 24, 2013

DJインタビューPeter van Hoesen  Rings in the End of the World 12/18/12の City Weekendより


18 December 2012 

ベルギー生まれのPeter Van Hoesen はティーンネイジャーロックバンドで数年ベースギターを演奏し、90年の初めにDJを始めました。もうすぐ20年になりますが、Van Hoesenは多種のスタイル、べース中心のテクノやエクスペリメンタルを模索し続けてます。



Q:初めてテクノに興味をもったのはいつだったの?

P:僕にとって、テクノはとても大きな存在だったね。まあ、エレクトリックミュージックとここでは呼ぼうか。

初めてミュージックに魅力を感じたのはとても早い時期だった。確か11歳か、12歳のころだったね。


Q:じゃあ、君のパーソナルな経験、洞察力は音楽にどのように影響を与えてると思う?

P:難しい質問だね。自分の作品を評価しているみたいだからね。でも僕の興味、趣味などは、作品名とアイディアに、はっきり反映されているね。音楽に関して、影響はどんなものからも与えられていると言ったほうが正しいね。例えば、毎日の生活、読書、他の音楽からだね。


Q:プロダクションのインスピインスピレーションや、プロセスについて教えてください。

P:僕は通常、流れに任せてるね。でも何を達成したいというアイディアはいつもあるね。普段は演奏しながら、その時々に決めてるよ。


Q:今回のPerceiverは今迄の作品とはどんな風に違うのかな。

P:今回のアルバムが普段と違うところは、これはダンスフロア用に方向づけられてないところかな。
アルバムの形式を少し自由にして、いつもと違うサウンドとストラクチャーを実験的に行った。もちろん聞く側からの判断はどの作品と比べるかにもよるけどね。


image courtesy of City Weekend



Q:live と DJパフォーマンスでの、メインの目的・目標は?

P:僕はいつも、バランスを保てるように努力している。これはダンスフロア―のファンに素晴らしい時間を提供しつつ 僕のファンが普段聞いたことのなようなもの、例えば面白いアプローチをサウンドとストラクチャーに与えるようにしてる。

喜びと、知性のミックスになるようにね。。


Q:テクノシーンで今あなたの興味の的になっているの人はいる?

P:多数の優秀な音楽があるからね。でも僕を本当に捕らえるのはいつも、僕が普段作らないような音楽かな。
本当にいろんな音楽、ダンスフロア―オリエントでないものを過去2年間楽しんだね: Outer Space, Bee Mask, Ben Vida, Monoton ...などだね。


Q:じゃあ、東と西で音楽の受けとらえ方の違いついてはどう感じますか?

P:東のほうが、ある意味熱狂的だね。説明は少し難しいけどね。西は(西ヨーロッパ)は、本当に広くエレクトリックダンスミュージックが提供されているし、少し飽和状態になっているのかもしれない。

人々はもう既にいろんなトラックを聞いてたりして、もう少し人々に注意して聞いてもらうのが難しい感じかな。

東の人達はもう少しオープンな感じだね。まあこれは僕の認識だけどね。ほかの人はもっと違うように思っているかも知れない。

Q:あなたのポットキャスト“Time Cast”は素晴らしいね。君のファンとポットキャストを通じて何か分かちあいたいと思っている?

P:これの狙いはテクノフォーカスではなくてエクスペリメンタルミュージックをシェアしたいと思っている。

今は本当に多くのハウスとテクノのポットキャストがあるから、僕たちは違うものを届けるのが良いと判断したんだよ。これは僕らのレーベル、Time To Expressの主題でもあるけどね。


Q:マヤのカレンダーで最後の審判の日といわれている12/21に演奏するわけだけど、何かスペシャルな用意はあるの?

P:もし明日がないのなら、飛んでもなく素晴らしいパーティになりそうだね、明日がなくてもファンたちは、夜明けまでパーティだね。僕の音楽はアンダーグランドウェアハウスにピッタリだから、朝の6時まで演奏するつもりさ。





DJ インタビュー
DJ Q&A: Peter Van Hoesen 

Monday, September 23, 2013

DJ インタビュー  Ben Klock Interview Apr 13 Rip It Up  オーストラリアのサイトより


Words By Cyclone


ベルリン テクノDJ Ben Klockは、クラブBerghainのレジデンツでとても密な関係をもってますが、去年彼はロンドンのクラブFabricの為にもCDを発売しました。

                                                       image courtesy of Rip it up

CDの評判は大変素晴らしく彼を世界のBen Klockにしました。そして彼は今度3度目のAustraliaツアーに参加します。今度はハイプロファイルのツアーになりそうです。

2007年のBen Klockの初めてのツアーでは彼自身も認めているとうり“(オーストラリアでは)あまりよく知られてなく、小さめのショー“でしたが、2回目の2011年に彼の友人のMarcel Dettmannとメルボルン、シドニー、パースに行った時には、オーストラリアファンも増え、人気を得ていたようです。

Ben: オーストラリアのテクノシーンはまだまだヨーロッパに比べるとはビックではないけど、僕らはとっても楽しんだよ。

Klockは子供の時にピアノを習い、DJを始めたのは90年でした。Acid houseのファンだった彼がジャングルを演奏し、いろいろジャンルを変えながら、ドイツ系のハウスとテクノにコミットしだします。

彼はオリジナルのBerghainのレジデントでもあり、Berghain のレーベルのOstgut Ton labelから2009年のデビューアルバムOneを含む数々の作品を出しました。それだけでなくEllen AllienのBPitch Controlからもトラックを、そして2006年には彼自身のKlockworksレーベルを設立しました。

彫刻のような顔立ちと、ヨーロッパのモデル体格のKlockに有名なダーク、ポストーミニマリズムについて聞いてみました。

Q: 10月に発売されたFabric 66Berghain 04 mixにつづくものでしたが、こちらは批評家からも大絶賛されKlock のこれからのチャンスを示しましたね。

BEN: 新しい扉が空いたなんてことは言わないね。僕のキャリアはいつも着実に新しいゴールへと向かっているから、新しいステップというべきだね。

現在人気はとどまることを知らず、今や世界中で高いデマンドがあるDJですね。

BEN:ツアーのスケジュールは今までにない位忙しくなっていて、月に15-16個くらいショーがあるね。

どちらにしろ、彼はFabricの評判には非常に満足してます。BENは今ではUKのべニューのレジデントのようですね。

BEN:そうだね、3-4回はロンドンで演奏してるね。

Fabric 66はすごく多彩でKlockがアンダーグランドテクノのと密着していることを強調してます。
トラックリストはデトロイドゴットマザーのK Hand、Luke SlaterのPlanetary Assault SystemsやMathew Jonsonなどからなる、BurialのRaverもあり、彼のジャングルの影響も見られます。

彼はまたオランダの達人Martynのリミックスを手掛けましたが、Klockは必ずしも英国のBlawan、Pariah やUntoldのような新しいポスト-ダブステップテクノに行くということはなさそうです。

BEN:一応僕も、聞いたりするけど、違うアングルからだね。違うジャンルを聴くことはとてもいいことだと思うよ。新しいエネルギーをもらったり、フレッシュなアイディアをテクノに持ってこれるからね。でも、バックグランドは違うね。

BEN: 僕は90年代のテクノのサウンドと、その歴史のなかで育った。僕のD&Bのバックグランドは本当に初心のものだ。僕が、DJを始めたころ、94 年や95年、少しだけ1年くらいD&Bを演奏したけど、すぐにテクノに変わった。それから、D&Bは全然フォローしなくなったけど、また違った感じでウェーブが戻ってきたね。

多忙なKlockは最近では本当に限られた時間をスタジオで過ごすため、リミックスは2009年のDepeche Mode's Peace が最後です。

BEN: “EPを本当はすぐに出したいけど、時間を見つけるのが難しいよ”

(このインタービューは少し古いため、ここには出てませんが、Dettmann とKlockの新しいEP o-ton 01が9月に発売されてました)
image courtesy of Ostgut Ton

今度のオーストリアのツアーではデトロイトモーターシティのカリスマでテクノ革新者のDerrick Mayと、ダブルへッドライナ―です。デトロイドテクノも返り咲きですね。

BEN: "デトロイドテクノはいつもぼくたちと一緒だよ。まあ、大きな集団では見ないんだろうけどね。Berghain technoは大きなマシーンやスティールの様な音、冷たいビートと良く表現されてるけど、それは違うね。僕らはBerghainでよくデトロイド テクノのメロディックで、エモーショナルな物もよく演奏するね。だからデトロイドテクノどこにも行かなかった、いつも僕たちと一緒だったと言えるよ。

WHO: Ben Klock
WHAT: Fabric 66 (Balance/EMI)
WHERE: Fowler’s Live
WHEN: Fri Apr 26


パーティレポート Brood Audio & Static Boookings presents: Brood Nights NYC Edition with Special Guest Pfirter



9/20 Brood Audio Label のErphun とStatic Boookingsのパーティがビレッジでありました。このパーティは朝の7時までという予定でしたが、残念ながら、ヴェニューとプロモーターのミスコミュニケーションがあり、Pfirterが演奏し始めて、すぐにクローズさせられてしまいました。

Angel CostaはスペインのMallorcaから参加し、ダークでヘビーなミックスと早めのテンポの演奏が前回にもまして素晴らしかったです。ErphunAngel Costa は2012年より一緒にトラックを制作し、コラボを行ってます。またCLRのクリスともとても良い友人関係です。下記はパーティのビデオです。下記はAngel Costa サウンドクラウドはこちらからどうぞ





Angel Costaのdiscographyです


:: Brian Black - Hydrogen (Angel Costa & Dj Emerson remix) - Electric Deluxe 03.04.2013
:: Pepe Arcade - Technoteraphy (Angel Costa remix) - Natch Records 18.03.2013
:: Pepe Arcade - Batanamabum (Angel Costa remix) - Natch Records 18.03.2013
:: Angel Costa - Desorden (ALBUM) - Brood Audio 18.03.2013
:: Erphun - No Sleep For Me (Angel Costa remix) - Sleaze Records UK 11.03.2013
:: Andre Ramos - Hidden Lights (Angel Costa remix) - Illegal Alien Records 04.03.2013
:: Obscure Live - 15.0 (Angel Costa remix) - Serial Number 849 Records 27.02.2013
:: Erphun & Angel Costa - Reckoning (Original mix) - Brood Audio 13.02.2013

Wednesday, September 18, 2013

DJインタビューファンクション レッドブルアカデミーより (By Todd L. Burns 2013/2/25の記事より)



Dave Sumner は Functionという名前で活動してます。彼はテクノDJ、プロデューサーで、Sandwell Districtのメンバーとともに2000年後半エレクトロミュージックを有名にすることに多大な貢献をしました。Karl O’Connor (AKA Regis) と Juan Mendez (AKA Silent Servant)がSandwell Districtのメンバーでした。


その頃このジャンルの音楽は,もっとセレブリティーのようなものになって来てましが、まず音楽を最優先が彼らの思いでした。
彼らの特徴であるポストパンクに影響されたアートワークは、その頃情報(誰がプロデューサーでオペレーションだったとか)が欠けていた為にとても新鮮で多くの崇拝者を生みました。また素晴らしいクオリティの作品を生み出しました。

予想どうり、才能のある人たちがSandwell Districtに取り組んでました。Sandwell Districはこの10年間で本当に成熟したテクノレーベルとなりました。ハイライトは2010年に発売されたFeed-Forwardです。ですが、2012年の最初にはSandwell Districtは、永久に停止します。

今年、3月にファンクションはLP、Incubationを発売しました。このアルバムはファンクションが、夢見つづけたアルバム作りとなりました。
ラブレターをつづるように、レコーディング、ミックスイングとマスターリングを手掛けました。ミックスにはTobias Freundを、マスターリングにはDubplates & Masteringを迎えてIncubationは本当に素晴らしい出来となりました。

IncubationはOstgut Ton, ベルリンのクラブBerghain / Panorama Barのレーベルから発売されました。Berghain / Panorama Bar は何年間もSandwelのメンバーのハウスとなってました。

私たちはファンクションのアパートを訪ね、Ostgutとのリレーションシップ、彼の若い時代のニューヨーク、ライムライトでのDJのこと、Sandwell SkrillexDeadmau5
オーストラリアにツアーに行ったことを尋ねました。

Q:Ostgut はこのアルバムの発売レーベルとしては面白い選択でしたね。Ostgutはどういう印象でした?

F: Ostgutは僕がアルバムを作っていると知って、レーベルマネージャーNick Höppnerが新しいリリースについて、連絡をしてきた。その時にはまだ完成してなくて、スタジオで働いている途中だったね。まだ完成するまで、どこからリリースなんて考えてもなかったし、僕は今まで個人的にリリースを手掛けていたからどういう風に、レーベルにアプローチするのかわからなかったので、ちょうどよかったね。

でもいつも僕自身はOstgutのファミリーメンバーだと思ってたよ。彼らは本当に何回も[Sandwell District]チームを[Berghain]で演奏させてくれていたし、僕達に本当に好きにさせてくれてたね。

僕が初めてベルリンに引っ越した時には、Berghainは僕の隠れ家だったね。僕は別に仕事を探しているわけではなかった。僕は音楽制作していて、インスピレーションをもらう為とかに、Berghainにステイして(笑)。。。本当に長い時間、こんな経験ないようなくらいクラブで最高に長い時間過ごしていたね。

ニューヨークから2000年にきて、その時本当に“おー素晴らしい。ニューヨークにあったクラブに来たみたい。これは体験したことあるって思ったね”。

ライムライト(ニューヨークのクラブで90年代に超有名)も始めすごくて、5-6時まで開いていたよ。6時までいるのはさすがに永久的に続く感じがしてたけどね。

Q:Milli Vanilliの“Girl You Know It’s True”のエンジニアと働くチャンスが来たのは?またNickは何か特別なことを言った?ここが君のレコードのリリースに相応しい場所だとか?

F:彼が連絡をくれた時に、このレコードのコンセプトにもなるけど、僕はミックスエンジニアと一緒に仕事がしたいと、伝えたんだ。デモを始めて送った時にはオッケーこれがデモだけど、このまま受け取ってほしい。僕はミックスをしたいと伝えたね。

何が素晴らしかったって、僕らは時間が沢山あったことだ。僕はデモを8月に渡して、アルバムは3月に発売になった。ミックスエンジニアであるTobias Freundがしばらく忙しかったからね。でも時間があったし、とてもうまくいったね。

Q:どういったところがTobiasのレコードに対するアプローチですばらしい素晴らしい思った?


F:驚いたのは彼が僕に取らせた行動だ。 彼は高精度ドイツ人のエンジニアで、彼はボディランゲージを使う。それは僕にもっと正確さを出したね。初めは、彼の言うとうりにしたくなかった。いろいろ我慢することを学んだね。本当に素晴らしかった。僕は本当にこのアルバムで、さらに音楽に近づいた感じがした。
実はメージャープロダクションの方法を取りたかった。音楽の書き方から、レコーディング、ミックスイング、マスターリングなどね。

Q:でもそれは伝統的にはテクノのレコード方法ではないよね。なぜそういう経験をしたかったのかな?

F:僕はEno Oblique Strategiesカードをよく使うんだよ。今はウェブサイトがあるから行ってみるといい。適当にカードをクリックしてご覧。僕がスタジオにいる時によく使うね。ジレンマとかあるときに助かるね。

僕は実はレコードを完成させた後、自信がなくなったんだよ。僕はこれをちょっと大げさにしすぎたかなってさ。特にミックシングのプロセスをね。でもこのカードを開けると、“好き放題しすぎないように、自制しなさいってね”。だから、この取り組みを決めたんだ。

まあこれは僕が子供の時から目標としてた事でもあるしね。僕はレコードのレーベルとクレジットを見ながら成長したんだよ。プロデューサーが誰とか、ミックス、エンジニア、プロデューサー、コープロデューサーとかね。

テクノはそういう風にはしないからね。でもお勧めだよ。レコーディングに深みをつけると思う。僕は自分のことを多彩なプロデューサーと思って、チューンも描くよ。

もし僕がアコースティックギターのシンガーソングライターだったらレーベルのアルバムのレコーディングの責任は負わないだろうしね。スタジオに入れるだけ。そういう方法でアプローチしたんだ。いろいろ試したね。

Q:先ほどライムライトについて少し話をしていたけど、まあここは結構いろいろ話題になるけど、レジデンスDJだったんだよね。 

F:90年の初めに僕は18歳だった。それは木曜で、本当に中身のある10-12か月だった。その後もしばらく演奏したね。レジデンシーがある時はオーディアンスを伸ばすことがチャレンジだったね。

Q:どうやって18歳で有名なLimelightレジデンシーになれたの?

F:George E...という有名なクラブ少年がいて(笑)

F:大君主、Lord Michael が水曜日だった。僕たちは彼と連絡して、バックルーム、the Shampoo Roomで始めたんだ。[Abel Ferrara's] Bad Lieutenantの映画のシーンにもなったところだ。その頃皆、入口のロープを通ってライムライトに入らないといけなかった。入り口で選んでもらって、入る。その後、また選んでもらって、Shampoo Roomにはいる
とっても、入るのが大変だった。一度入ると、まるでアリスの世界だったね。また次に部屋があって、そこはパスワードが必要だった。そこはライブラリーだったね。

Q:ライブラリー?

F:その頃は本当にいろいろなデザインがあってね。毎週違っていることもあった。壁を動かしたり、まるで部屋と階段の迷路のようだった。
ひと夏にはガーデンもあったね。こういう試みがすごかったね。彼らはいつもデコレーションを変えていて、本当に入るまでいつもどうなっているか分からなかったね。僕が初めて行った時、帰る頃にはサイケデリックなマリオットのショーがあったりした。

Q:18歳でなくても結構すごかっただろうね。

ライフチェンジング。帰る時、本当にここに属したいと思ったね。これだ、これが僕のやりたいことだって。あれに代わるものはまだ見てないね。これがダウンタウン、ライムライトの話だ。まあ、すべて経験したわけではないしね。Danceteria, Fun Houseとか、もちろん時代が変わってもっとゆるくなっていったね。

Q:僕たちはちょっとロマンチックに話してる?それとももっと凄かったの?

F:あの時は人々はもっとチャンスがあったよ。もっとアートでクリエティブティだったね。今の商業的感覚と違ってね。今は不毛の時だと感じる、前と比べてね。

でもあの頃のゲイシーンとドラッククィーンはクラブシーンへ統合していたね。だから僕らに魅力があったのかもね。普通の世界から逃げるみたいね。隠れたパーティには秘密のソサエティーがあってね。これはライムライトだけなく、周りにいろいろあった。その頃のマンハッタンは今ほど高くなくてね。そしてGiulianiが来て、すべてが変わった。

Q:僕が正しく覚えていれば、Karl O’Connor (AKA Regis)が来た頃には、すべて変わった後だったんだよね。

F:そうだね。あの頃は僕はRogue Music(ニューヨークの楽器のお店)の上に住んでいて、そこでも働いていた。Downtimeという店が地下にあって、インダストリアルナイトがライムライトから、移らないといけなくなって来たのがその頃だ。

その頃、皆(クラブキッド)そこによくたむろしてね。Michael Alig murdered Angel...のことを覚えてるね。彼はちょっと妄想が入ってかもね、その頃には、ヘロインとかケタミンとかね。Michaelが自慢話を僕のビルの前でしてたのを覚えてる。まあ、彼らしかったね。だから僕は彼に起こったことにぜんぜん驚かなかった。彼はいつも、外れた感じだった。彼らの仲間は皆、破壊的だった。多くの人が亡くなったね。

Q:Karl はどう感じたのかな。彼はBirmingham、UKから来て、すべてが刺激だっただろうね。

F:そうだね、その頃のイングランドはニューヨークを熱愛してたね。Karlと僕が、話しをするときは、彼はBirmingham のRum Runner の話をしたね。これは’80年代のニューウェーブのニューロマンスシーンだ。彼らにはとても有名な夜があって、Duran Duranがハウスバンドだった。そこが彼らのスタートの場所だった。もしYouTubeにいったら見てご覧、ビデオとコスチュームがすごいね。インタビューで“僕らがニューヨークで見てきた、素晴らしいものを再現しているんだ。”ってね。
Karlはそういう環境の中、育ってたんだ。例えばSoft Cellとか、アルバムのNon-Stop Erotic Cabaretはその頃のニューヨークのレッドディストリクトのバイブがあるね。ちょうど80年の42丁目あたりだね。
彼が来たときは僕は30丁目の7と8の間に住んでたね、で42丁目までよく行ったよ。

Q:ノンストップのエロティックキャバレーだったね。

F:そうだね。それは彼がすべてテレビで子どもの時に見てたものだ。それがそこにあるってね。それらが僕らのリレーションシップを輝かせたんだ。僕はUKに行き、彼にWalesなどを案内してもらって、まるでエクスチェンジプログラムだったね。

Q:君はこのようなプロジェクトやアルバムつくりは何度も経験積みだけどSandwell Districtは君を今の位置に、今回のLPの作成に役に立ったのかな?

F:もちろん。Karl が中心だったけど。彼には本当に激励させられたね。Downwardsという彼のレーベルは本当に特別だった。彼は本当にたくさんのデモをもらってね。でもそこではリリースしなかったね。でも、ほかにチャンスを与える意味で、P&D とのディールを手伝ったりしたね。こういうことは普通は考えない、スペシャルなことだったね。ほかの人のことを考えて、ほかの人にも、表現のチャンスを彼は与えてたね。

Q:Sandwellがとても大きくなったことには驚きはあった?

F:大きくなったかな?(笑)

Q:いろんなことができるチャンスが増えただろうね。今Fabricのミックスをしているし、オーストラリアにDeadmau5とSkrillex一緒のツアーで行ったりね。

F僕たちがツアーで一緒だった時、Skrillexは、“君たちが僕をacid breaksに戻さないといけないんだよ”って言ってた(笑)。彼は魅力的だったね。彼がビックになったのは分かるね。ポップのAphex Twinだね。 Aphex Twinが初めて出てきたときは彼だけが特別だった。そこはハウス、そこはテクノ、Aphex Twinってね。

Melbourneでは2つのサインだったね。1つはすべてのアーティスト、もう一つのサインは“Deadmau5“。 Skrillex も自分用のキュービックがあったね。まるでオフィスのようだった。
Deadmau5が終わること僕らはバックステージにいて、コーナーを曲がりかけで、彼は顔をあげて、15,000人が大騒ぎだったね。凄かったね。
そして僕らがコーナーを曲がってKarlがミッキーマウスのテーマソングを歌ってた。“M. O. U. S. Eeeeeeeeeee”とDeadmau5の顔に歌ってしまってた。突然マネージャーとフェスティバルのオーガナイザーが現われて、散らばっていったけどね。(笑)

Q:ここでハウスについて少し話したいんだけど、今もちろんあなたははテクノDJで有名だけど、一度、ベルリンで見たときは、ちょっと特別なクラシックのシカゴマテリアルだった。どこから影響を受けたの?

F:僕は一度The Wireで、90年代の techno 対house 論争を読んだよ。90年代の techno 対house論争の言葉を聞いたのがそれが最後だった。90年代の初めはハウスとテクノは大きく違う様に分類されていた。本当にバトルだった。

僕がはじめにDJしだしたときは、ルーツはハウスとフリースタイルだった。80年代の初めの、ジャズ、ディスコとかポップとかも使ってたね。91年にライムライトに行くまで、テクノを見つけることはなかった。

Q:君はそのバトルに気が付いていた。

F:一度演奏し出したら、そこには大きな違いがあることに気がついた。少数のレコードは混ざり合ってたけど。
Little Louie Vega がSpastikを演奏すると“わお、テクノレコード?”という風にね。テクノのレコードもハウスで少し演奏されたけど、僕が気に入ったのは、Renegade SoundwaveのThe Phantomとか、Sweet Exorcist’のTestfourだったね。
そのようなテストレコードが僕を変えたね。とくにTestfour。なぜなら、これは、はじめの頃のラップのように、ベースとビープがあった。まるでエレクトロニックで、Kraftwerkみたいだった。オーガニックニューヨークハウスと違ってね。そしてデトロイドレコードを聴くようになって、すべてが変わった。