Thursday, November 14, 2013

インタビュー イオリ Passing Through (with Exclusive Live Set) Source: mosaictheory.de


Interview with Iori : Passing Through (with Exclusive Live Set)

イオリは沖縄からやって来て、今はベルリンベースのプロデューサー、DJです。

彼のキャリアは90年に始まります。日本で数年間パーティをオーガナイズしたり、DJでも活躍し、2003年にニューヨークに移り住み、David MancusoのパーティThe Loftのプロジェクトコーディネイターをしました。

イオリはまた沖縄に戻ります。それからの彼は、日本や世界のステージでとてもアクティブになります。

彼はDepeche Mode、 Manuel Göttsching、Moritz Von OswaldやBasic Channelに影響され、彼のセットはハウスからテクノ、ディープアンビアント・エクスペリメンタルととても幅が広いです。

こちらのイオリのセットMosaic Theory; 38 minutes live set titled “Passing Throughは、後期のカテゴリーに入ります。


Mosaic Theory
Iori - Passing Through

タイトルからも分かるように、これはディープで、まるで知らない場所へ、ゆっくりと進むスペースギャラクシーの間のいつまでも続くジャーニーの様です。

下記は彼のプロダクションと、ベルリンライフ、そして彼自身の子供のころ、ミュージックに恋に落ちた話、これからの事などを語ってもらったものです。

Q:去年君は沖縄から、ベルリンに来たんだよね。どういう動機があったの?なぜベルリンにしたんですか?

I:とてもシンプルの理由からだよ。僕はもっと沢山ヨーロッパで演奏したかったし、ベルリンはヨーロッパの中心だからね。それがメインの理由だ。

沖縄は違ったシーンと違う環境にあるから。それと僕のジャンルのミュージックだと、ベルリンにいるほうがとても自然だからね。
そして、ヨーロッパには僕がリリースした2つのレーベルがある。
Prologue aとPhonica - どちらとも、ヨーロッパベースだからね。(Prologueはミュンヘンに、 Phonica はロンドンにあります)。
本当はロンドンがいいなって思っていたんだけど、ベルリンのほうが、ビザや住居の問題を考えると簡単だからね。

Q:Prologue とPhonica との関係がどのように始まったかも教えてください?

I:両方のレーベルとも、MySpaceを通じて連絡があったね。僕は彼らにいくつかのトラックを送って、それから始まった。そして、リリースが決まった。

僕はとてもラッキーだったね。どちらも同じ時期に連絡があってね。それは2008年のことだった。僕の初めてのEP 、Galaxy はPhonicaからリリースされた。

実はPrologueが、はじめにGalaxyをと言ってきたのだけど、結局Phonicaからになった。Prologueの Tom (Bonaty) が、もっと聞きたいと言ってきたので、また追加で送った。僕の初めてのPrologueのリリースはUnknown Places EPだ。

Q:でも、君はそれまでもリリースをしてきてたでしょう?

I:そうではないいんだ。5年前位からだね。10年くらい前も、若い時に何回かやってみた事はあったけどね。その時はとても、難しかったね、だからちょっと諦めかけた。
そしてAbletonを手に入れて、僕はハードウェア、アナログのシンセなどを使うのも好きだったけど、そこが僕のターニングポイントになったね。

Q:じゃあ、音楽は君のパッションだったんだよね?いつ音楽が君にとって愛するものとなったの?

I:僕が子供の時だ。僕には、年上の姉がいて―彼女は10歳年上で、彼女は本当に音楽を愛していた。彼女はDJのボーイフレンドがいて、多くのミックスのテープが部屋にあったね。
僕は姉を愛してたし、尊敬していた。そして彼女の音楽のコレクションも好きになった。ここで、僕は音楽を愛し始めたんだ。僕は10歳か11歳だった。
彼女が持っていたミックステープは本当にいろんな音楽が入っていた。スリースタイル・ハウス、ソウル、ヒップホップ、ニューエイジ、そしてとてもパッションのあるものなどね。ほとんどがUKか、USの物で日本物はなかったね(笑)。

Q:そしてすぐ後にDJを始めたたの?

I:僕は18歳の時に初めてクラブで演奏した。そのときは高校を卒業したばかりだったね。僕はロージカルのクラブでDJをしていたんだ。
15歳の時にダンスミュージック、ハウスのレコードを集め始めた。でもずっと音楽は好きだった、ハウスを見つける前からね。それはとても自然な事だったね。ジャンルは関係なかったね。

Q:じゃあ、とても深い印象をもった初めてのエレクトリックミュージックはなんだったの?

I:Depeche ModeのViolator album と、Manuel Göttschingの E2-E4 だね。

Q:じゃあ初めてのハウスミュージックですごく好きになったものは?

I:The Whistle Songだね。Frankie Kucklesの物で今でも大好きだ。

Q:沖縄には良いレコードショップなんかはあるの?

I:とても小さいのがあるよ。テクノ、ハウス、ダンスなどあるね。僕はパートタイムの仕事をを高校の時にしていたから、その時のお給料はバイナルに消えたね。

Q:沖縄には有名なDJや好きなDJ とか、その頃には来ていた?印象に残った良いパーティなんかある?

I:David Mancusoは来たよ。 Lil Louisと他のアーティストもね。でもちょっと珍しいことだったね。でも、ちょっと有名な人たちもだんだん来るようになった。

僕は初めてDavidにあったのが、17歳の時、彼が沖縄に来た時だった。僕は彼にいつかニューヨークに行きたいと思っていることを話した。彼は、いいよ。来たら?(笑)ってね。

3年後、僕はニューヨークに行き、彼に会った。そして、彼のThe Loft partyを手伝うことになった。彼の仕事のオーガナイズを手伝った。いろいろなことやったね。彼のレコードを運んだり、風船をたくさんパーティの為、用意したりね。The Loftは その頃、1年に3回、イーストビレッジのアベニューA で行われていた。僕はそこで1年3か月彼のもとで働いた。

Q:その経験はどうだったの?

I:本当に素晴らしい経験だったね。僕はとてもハッピーだった。いろんな素敵な人たちにもあったしね。それから僕は日本に戻り、DJを続けたよ。
僕はマンスリーのGalaxyという名のパーティを開催し、その他には2つレギュラーのパーティを友人たちとするようになった。

Galaxy はもう2つのパーティより、もっとテクノ寄りのパーティだったね。近年になって、僕は東京や他の都市でも毎週末の様に演奏するようになった。 

Q:さっき、君はハウスをメインに演奏していたって言っていたけど、テクノに移っていくの?

I:そうだね。ちょっとチャレンジだったけど、僕はテクノを作っていきたいと思った。

Q:僕の好きなトラックはMoon EP (Phonica)だね。例えばトラックのタイトルや、EPなど、いつもそこにはなにかスペシャルな美的なフィーリングがあるみたいだけど、例えば、月とか、ギャラクシーとか、君はそういった、主題とか、コンセプトが気に入っているの?

I:たぶん、僕はそういった見えないもので、ミステリアスなものに惹かれているのかもね。あんまり、明白でなく、そこにあるちょっと近づきにくいもの、遠いネイチャーなものなどね。

Q:君は去年のDJ NobuのBittaレーベルから出たものに属するトラックの編集アルバムNexuを、リリースしたけど、次の予定はどうなっているの?

I:EPが次にPrologue と Phonicaからリリースされる。それらはまだ製作中だけど、今年中にはリリースされるね。

Q:今、たくさんのアーティストが自分でレーベルを持っているよね。それは多くの理由から来ていることだけどーアーティストは自分にあったレーベルを見つけたいけど、でも本当は自分の作品とビジョンを反映したレーベルを持ちたいという希望も持っている。サウンド、芸術的美的感覚やアイディアからの面でね。君の自分のレーベルを持つことにも興味を持っているの?

I:もちろんだよ。出来たら今年中に何とかしたいね。

Q:“Galaxy”って名前のレーベルになるのかな?

I:[Laugh] いいえ、そこから、自分のものを多くリリースすることになるけど、僕は日本の若いアーティストも、ここに加わることにもとても興味があるよ。
僕は音楽を作っている数人の日本の友人がいるよ。彼らは素晴らしいし、僕は彼らの日本でのリリースの手伝いをしたいね。日本ではとても難しいからね。バイナルプレスする工場もないしね。実は一つあるけど、すごく高い。ヨーロッパの2倍くらいかかるね。


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