Tuesday, October 8, 2013

DJ Interview : Cosmin TRG Source: Catching Up Little White Earbuds Interviewsメルボルン





Cosmin TRG:僕はずっと遊牧民みたいだったね。僕は、いろんなところに住んでいた。場所も、音に関してもね。

Cosmin TRGを引き合いに出し、総合的に彼を表現するならCosmin の言った遊牧民という言葉がちょうどよいのかもしれない。2007年のレコードの発売から、Cosmin Nicolaeという名の彼は、本当に幅広く、Hessle Audio、Hotflush、 Rush Hour、と NakedLunch 、そして今メインのModeselektorの 50Weaponsより、リリースを出し続けています。
この6年間、Cosminは困惑し、また同等に大いに喜びながら、ダブステップ、UK ベース、 ハウス、 テクノの境などのカテゴリーに留まることなくジャンプしてます。僕たちが好きな彼のパーソナルな音楽が、新しく発売になったGordianで明かされています。
彼のジャーニーは努力なしではなかったと思われます。

Nicolae は今、どのようにしてDJのツアーと、精力的なスタジオアーティストとしての活動とのデマンドのバランスのとり方を学んでいます。もちろん、同時代のアーティストによくある緊張のバトルです。並はずれた適切性を感じました。

ベルリンから24時間かけて訪れ、睡魔と時差と闘いで僕らにあてられたミーティングの時間を少しの居眠りでミスしてしまったほどです。ミーティングから3日後、まだ彼が飛行機に乗ってベルリンに戻るには2都市を回る予定がありましたが、僕らは何とか彼に会うことができました。Nicolaeの話は時たまずれて、とても疲れた様子でした。最後に快活な笑いが出る前には、“今、僕は不均整だ”と言葉に出してました。大部分は自意識気味になっているというのが本音だ。笑いが良く飛び出すことを除いて-彼と他の人々と比べて-ルーマニア人が英語圏外の人の中で一番明瞭で、思慮に富んだ人と感じられました。

Q:今音楽の世界でもっとも大事なテーマは真正(本物)です。皆、これに悩まされてますが、あなたの意見はどうですか?

C:そうだね、だから多くの人が、アナログシンセを使っているわけだね。もしくは “僕たちはバイナルに戻るんだ。もっとバイナルを演奏するんだ”ってよく聞くよね。
まあこれは、一つのダンスミュージック現象だけど、幾人かは恩恵を受けている感がある、そして彼らは本物をサポートしたいと思っている。
僕自身について思うと、本物は僕にとっては少し違うけどね。もっとパーソナルタッチを与えることが、本物に近づくことだと思うよ。もし、君たちが、誰かをまねて音楽を作る、これはやはり問題だよね。上手くいくとするよね、でも君は、過去を向いているわけだし、それはそんなにアートじゃないよね。それはもう既にあったものを複写するのに似てる。本物のメリットはない。でも、ファンクショナルなクラブミュージックだったらオッケーかもね。状況によるね。

Q:君にとって、オリジナルのアイディアを出すというのはとても大事なことなんだね。じゃあ、例えば、誰かが素晴らしいアイディアを持ってて5年後に、他の人がそのアイディアを使い、磨きをかけてとても良いトラックを作成する場合は気にならないってことかな?

C:そうだね。ほとんどのアイディアは前にもあったからね。まあアイディアを使い、新しいものを作るのとは違う。同時に、奇怪な新しい音楽が出てきて、それらはとてもフレッシュで、でも何か聞きなれている感じで、同時にとても新しい。これらは僕は、とてもオリジナルだと思うし尊重するね。

Q:僕はベストトラックは、いつもミニマルだと思っているけど、もしくはとてもシンプルなもの。ループの繰り返しとか。
どうして、音楽は尊敬されて続けていると思う?

C:まだ僕たちはパフォーマー、“本当の“アーティストに対して、尊敬の念を持っているからね。多くの人が、まだ音楽はとても調子がよくって強い感情を引き起こすものでないといけないと思っている。でも違うよね。ミニマルのほうがとても強い感情を引き出すことができる。なぜならもっと広く解釈できるからね。調子の美くしすぎるものは(オーバーメロディック)簡単すぎるからね。それは、そうするべきとか、思うべきだとか、そう言うべきとか、そう言っているコードが入っている感じだからね。僕はいろんな人は、音楽の調和を楽しんだり、そういうものにひかれていると思う。なぜだというと、そういった音楽はもっと裏でいろいろな試みが行われている場合が多いからね。それは真実かはともかく。
あなたはあなたの作り出すメロディに自信を持ってますか?

C:僕はなるべく、メロディックにならないようにしてる。 
たまたま、メロディックなものが出来るときはあるけど、それはその時にメロディックになるのが、良いチョイスだった時だね。僕は訓練されたミュージシャンではないし、まあ僕がここで、僕の作るメロディとか他のものに関して、幸せかどうかは伏せておこう。

Q:訓練を受けなかったのは君の意志?厳格なるルールによるガイドがないから?

C:まあそうかな。これだけは言えるけど、僕は自分の作るものに関してまだ熱狂しているよ。僕はまだ今も,学んでいる最中だ。どんな結果が出ても、僕は幸せさ。まあこういう気持は僕が音楽のトレインを受けてたらないかもね。
多くの音楽家がいるからね。ピアノやヴァイオリン演奏家が多くいて、でも彼らは音楽を作らない。でも本当に素晴らしいパフォーマンスで、演奏家である。もし僕が、クラシックの勉強をしていたならば、僕はここにいなかったね。

Q:発見といえば、君の新しいアルバム“Gordian”は君の始め予定どうりの出来上がりとは違ったとか?

C:そうなんだ。初めはドローンな感じでと思っていた。完全なヒポノティックなものってね。でも僕はそのような感じに仕上がらなくて、良かったと思っている。またこういうものも、すでに多くリリースされているからね。
僕は家で聞く為とか、ダンスフロア―とか、決めたくなかった。僕はこの6ヶ月間、毎日信念強くスタジオに行ったね。あんまりヘルシーではない概念があったね。だからアルバムは違うサウンドになった。
では最後にはこれで良かったと思った。アルバムを作った場所、時間を呼び起こし思い出す感じを受けるからね。実際に概念道理に出来上がっていたら、同じメッセージを持つものはできなかったと思っている。

Q:そういったことはよく起こるの?アイディアが初めにあって、出来上がりは全く違うもの。

C:そうだね。僕のライフのようだね。[笑]

Q:でもそれは君にとって大事なプロセスでしょう?

C:僕は大事だと思っているよ。たぶんクリシェの様なもの。“ジャーニーは、目的地よりもっと大事なもの“って言うからね。
ともかく僕にとってはね。僕は新しいアルバムの製作に関してとても幸せだったよ。レコードの仕上がりもね。そして、それが仕上がって、まあ僕はあまり仕上がったものには考えないようにしている。僕は仕上がった物は、もっと大きな物の一部分だという風におもいたい。たぶんね。仕上がったものをマスターリングとかに持って行くよね。僕はいつも“製作中がすごく恋しい感じになる。プロセスの背後にあったものを非常に懐かしく思う”

Q:まるで子どもを育てるのに似ているね。まるで家から離れていく子供を思うような気持ちだね。

C:そうだ。家からいってほしくない。

Q:いつ、終わるかどうかどうしてわかるの?

C:僕にはデットラインがある。あるポイントで終了しなくてはいけない。だいたい、デットラインの2週間くらい前で、終わりが分かるね。フィーリングで分かるね。僕はだいたいトラックの順番を変更したりしない。どこかのポイントで、順番を決め出し、例えば初めのトラックは“New Structures For Loving”でも最後には最後のトラックという風にね。僕は他のヴァージョンとかあまり作らない。

Q: アルバム作りの裏にある、“健康でない概念思想”について語ってみよう。僕はもう一つここに、君のプレスの引用を用いるけど、真実、物体、体と共同で必要であるアルバム作りをする。
不安や、失敗、幸せでいられない不安、などは今日の問題だけども、Gordianはそれらの問題点を調査する試みだ。
では、どのように歌詞をつけないで、アブストラクトな音楽で調査していくの?

C:それは決まったサウンドがそれを誘因するね。例えば-それは知的過ぎてつまらない-決まったサウンド。僕はこれを隠喩として使う、まあ小さなコードとして、それらが一緒になって、それで僕は全体的なものをして描いてみる。こういう感じかな、こうやってアルバムの制作にあたっている。
たとえば、“Noise Code”これはストリップダウンのトラックだ。ビープが聞こえてそして、テープのシュッという音。このトラックはNew Yorkの立法制度からきてる、New Yorkのノイズコードという風にね。彼らはクラブ、バーの騒音に関してとても変わった定義をもっている。
どこかのポイントで、ベースやサブベースが出てきて、彼らは騒音に関して語らなくなり、どこからか周波数に関して話だす。こういうトリガーが、例えば他の人たちが、周波数を法律で規制するとか、これに関して話をするとか。実在しないものだよね。有形のものではないね。実際のメロディはとてもシンプル、でもオリンピアン パットが少し出てきて、また消える。。。。。(笑)なんか何を話しているのか分からなくなってきたね。

Q:君はまだアルバムを作っていた6ヶ月前にいるんじゃない?(笑)

C:僕はいつも全体像を見る。すべてがシンプルで、それらはすべて意識の流れで。まあこういう感じで、アルバムを制作する。ダンスフロア―トラックはもう少し率直だけどね。

Q:君は2年前にベルリンに行ったけど、君の創造性に一体どういったインパクトがあった?

C:僕は音楽を作ることにに関してもっとフリーになった気がするね。前がそうでなかったわけではないけど。もっと落ち着いた感じだね。これがベルリンのよさかもね。僕たちは自由で好きなものを作れる。まあ僕のライフスタイルの同意のステッカーみたいなものだけど、まるで、“いい、いい。ただやってみればいい。自由にねってね”。

Q:じゃあ君はボヘミアンになって、例えばアートだけの生活以外にもテンプテーションみたいなものはあるの?

C:もちろんだね。それはどこでも世界的に起こっているからね。もし君がフォーカスしてなかったらどこでもあり得るよ―ベルリン、ロンドン、パリ、ニューヨーク、LA,メルボルンとね。どこでも調子を緩めることはできるよ。ベルリンは最も危険なところだけどね。本当に簡単だし、ここでは押し合いになったりしないしね。ベルリンは両方兼ね備えている。
例えば、ロンドンとかニューヨークだと、クリエイティブな人も本当にフォーカスと訓練が、成功するために必要だ。出来なければ、レントも払えないし、そこで生活する事もできない。ベルリンは違う。それでも、うまく生活ができる。

Q:それはトラップのようだね。君は今32歳だけど、もし君が18歳でサクセスしてたらどうなってたと思う?

C:乱暴者になっていたと思う。常に怒って、かっとなってたかも。もし僕が18歳なら。まあ今でもするかな。まあ32歳だけど、18歳ですることなんて簡単に想像つくね。

Q:君はルーマニアで育ったけど。実際に短い期間、鉄のカーテンの裏側に住んでいたわけだけども。どんな感じだったの?その頃そこで音楽を作るってことは?

C:80年と90年は僕が思うには、みんなブーツレッギング(密輸)とかに頼っていたね。ブルガリア人とか、セルビア人とか。物はフランスとかドイツから来てた。僕は密輸されたCDとテープが好きだった。その頃そこには1-2つのラジオステーションがあって、彼らは少しだけアドベンチャーだったね。90年だった。そしてすべてが変わった、皆の知っている様にね。

Q:僕はルーマニアには、今でもびっくりするようなソフトウェア―ポリシーがあるって読んだけど。

C:そうだね。89年、90年は、もっと変な中身と状態だったね。誰も何も持ってなかったのにね。そしてミュージックとソフトウェアを買うのはもっと変だった。
でもそこにフリーのものがあるのにってね。道徳が変になったね。まあ、20年後のウェスタンカルチャーの道徳に沿って語るのも変だけどね。まあ、その頃にはまったく当てはまらないよね。
例えば、僕の育った村にいた男だけど、彼はレコーディングスタジオを持っていて、そしてレコードショップも持っていたね。テープとかCDとかがあってね。彼はオリジナルのCDを持っていてね。店に行って“新しいBlurのアルバムがほしい?”とか言うよね。そしたら、彼は“もちろんあるさ、10ユーロだよ”ってね。ため息をつき“10ユーロ? ” と聞く。そしたら彼は“ブーツレッグだと2ユーロ”ボクが作ってあげるよって具合にね。“クール、ありがとう”普通はここで何も考えないよね。僕は16歳だったしね。

Q:じゃあ彼はそこでCDを焼いていたの?

C:そうだね、彼は基本的にミュージックをサポートしたかったんだろ。ちょっと変だけど、彼はファンとリスナーもサポートしたかった。彼はポーティスヘッド(Portishead)をサポートすることは考えてなかった。彼は店に来る子供たちに音楽を分けることを考えていた。すごく大変な時代だったね。

Q:僕はベルグレート とブタペストに行ったことがあるけど、彼らのナイトライフは素晴らしかったね。ミュージックはカッティングエッジではなかったけど、そこには多くの捨てられた場所があり、情熱にあふれる人がいたり。これからの東ヨーロッパでのエレクトロニックミュージックシーンは大きくなるというアイディアについてはどう思う?

C:もちろん、可能性はあるね。そこに関わる人が正しい人ならね。ただシーンが大量のお金、コーポレーションなどによってハイジャックされる可能性はあるけどね。すでに東ヨーロッパでは始まっているけど。東ヨーロッパで行われるほとんどのショーが、いろんなブランドで行われて、ウェアハウスパーティは実際にはウェアハウスではなく他のブランドで行われるようにね。
そういう事を考えると、自然に行われるムーブメントはないね。人々は、やっとリアリテティに気づいた感じかな。もちろん今から伸びていく可能性はあるけどね。人々は本当に音楽に情熱を持っている。一番大事なのは、彼らは熱烈に音楽を愛し、そしてそれが一番先に来る。そして、ナイトライフは2番目だ。他のところは,世界の別の地域では、これが逆になるところもあるだろうね。

Q:昨日、君は24時間かけて、メルボルンに来たわけだけども、4日間で3つのショーがあって、また飛んで帰る。どのようにして、こういう生活を維持しているの?
C:わからないね。どうにか見つけるさ。多くの人はこういう生活をして何年もサクセスしてるからね。どうにかベストから習っていきたいね。時々考えるよ。Marcel DettmannやChris Liebingいったいどうしているんだとね。彼らは本当にいろいろ飛びまわっているからね。しかも彼らはずっと何年もそのようにやってきているからね。僕もその禅のレベルまでいかないとね。

Q:DJアカデミーなるものを作ればいいんだよね。どうやってスーツケースをパックするとかエアーポートでも優遇のされ方とか?

C:それはまずいね。そういった事は自分でミスをして知るものだ。ちょっと難しい手作業で学ぶほうがいいね。

Q:君にとっての最悪のミスは?

C:どうかな?たぶんギグのことばかり考えていることかな?そしてストレスを感じること。そしてそこに行き、演奏して、素晴らしい気持ちになる。さっき君はこの状態を持続できるかって聞いたけど、分からないね。本当に僕は少数の人たちがフォーカスして持続していっている事に関して、すごく尊敬している。
彼らはDJにもフォーカスし、プロダクションにもフォーカスして、それはとてもハードなことだよ、特に飛行機で飛びまわり、演奏してね。
3日間、大きなダンスフロア―の音楽を聴き、それがハウスとかテクノとか関係なしにね。そしてその後スタジオに戻るのは結構難しいことだと思っている。スタジオでまた音楽を作りに12時間もスタジオに籠ったりね。とても変な感覚だ。

Q:他のアーティストも同じように苦労していると思う?

C:たぶんね。まあ皆感じるのは、疲労だね。旅行のせいで消耗するのはかなり速い。たまに、DJでハングオーバーの状態を4日間続けている人がいるけど、そういった事はすべての人には当てはまらないね。
ただ睡眠不足が精神に負担をかけているね。多くのDJがとてもディプレスするライフスタイルに不平を言っているけど、僕はそのようになりたくないしね。(笑)

Q:でも、いろんな都市を尋ねると、必然的にクラバーがいて、プロモーターがいて、いつも“よし~、パーティーだ”なんて、お酒を渡されてなんて、なるでしょう?でも、君はもう既に3日間パーティしていて、なんてことあるよね。
やはり、セルフコントロールは大事なことだと思っている?  

C:もちろんだよ。今それがあるかは分からないけど、大事だね。フォーカスしていることはとても大事なことだ。いつも、パーソナルな感じで皆と付き合うことは本当に難しい。さっき君も話したように、人々は一緒に楽しみたいからね。でも疲労はパーソナリティに入ってくる。そして僕は静かになる。本当に難しいよ。だってもしかしたら、人々は、もしかして君は面白くないって思うからね、もしかしたら、人が嫌いかもなんて思うかも、それは本当ではないのにね。

Q:じゃあ疲労のせいで、君の演奏に影響が出たりする?

C:僕はそう思ってないけど。疲れてたり、ハングオーバーだったりすることはあると思うけど。でも演奏し始めて、ある一定のゾーンに行き、演奏し続けるみたいな。とても疲れている時は特に眠らないようにだけ気をつけている。ただし、自分のセットではアドネラリンが出てきて、僕の体の調子を助けている。後でクラッシュしても僕は平気だけどね。

Q:これが君がやりたかった仕事じゃなかったかもと考えたりすることはあった?

毎日だね。(笑)みんなそうじゃあないかな、どんな仕事していてもさ。



1 / 1. Demo by COSMIN TRG 0:56 / 3:56 

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